議事録

コンシリエンス学会・研究会報告(2023年7月2日)

ことばの領域――進化政治学と社会の大義

 

報告者: 岡本至

司会者: 伊藤隆太

 

1.     研究会概要

2023年7月2日(日)に、コンシリエンス学会主催の研究会がオンラインで開催された。報告者は、文京学院大学教授の岡本至氏、司会者は、広島大学人間社会科学研究科助教の伊藤隆太氏であった。研究会本編は、岡本氏による報告から始まり、その後、参加者を交えての質疑応答という形式で行われた。

 

 

2.     研究会本編

  「安全保障化」理論の概要

岡本氏はまず、安全保障化理論について概説する。なぜなら、当該理論が参照する言語行為は本報告の主題でもある「ことば」と関連性があるためであるという。

 

  「安全保障化」理論の概要

岡本氏はバリー・ブザン(Barry Buzan)らの議論に依拠しつつ、安全保障化理論は、ある対象(国際テロリズム、気候変動、移民)が社会・国家において「安全保障上の脅威」と位置付けられる過程を、①安全保障化アクター(securitizer)が特定対象を、②特定の守るべきもの(referent object)に対する、③脅威(threat)と位置付けるオースティン的「言語行為(Austinian speech act)を行い、④これが社会(audience)に受容される、安全保障化(securitization)のプロセスと規定するものである。すなわち、安全保障化理論は、ある対象が社会における脅威として認識されるに至る動的プロセスであり、主な対象は非伝統的安全保障分野であるとする。

 

  安全保障上の「国益」、戦争、人命

岡本氏によれば、「国益」という言葉を安全保障の文脈で使うとき、それは単なる「国民の利益」、「国民が望むこと」ではなく、「それを守るためなら、戦争を含めて何でもしねくてはならない」対象であるとされ、したがって、戦争になれば当然人命が危険にさらされる。

 

  問題設定

上記の通り、国防戦争は国民を死地に赴かせる、文字通り「人命を懸けた戦い」である。戦争を行う国家は、国民に「国益」のために死ぬことを受け入れさせなければならない。では、なぜ国民は防衛のために自分の生命を危険に晒すのかというと、進化政治学的な答えとしては、自分の近親者のDNAを残すためであると考えられる。ところが、現代の国防主体である国家は、狩猟採集時代のホモサピエンスが帰属していた拡大親族集団とは異なり、DNA的なつながりが希薄な人間集団である。そのため、人が国家を守るために命を危険に晒すことを受け入れている事実は、進化政治学からは説明できないことになるのではないか。これが岡本氏の問題提起である。

 

  本報告の想定(※一部、岡本氏の報告資料より直接引用)

そして、上記の問題的に対する岡本氏の想定は以下の通りである。

    拡大親族を超える巨大な集団は、「言葉」によってつくられる。巨大な超DNA集団を結びつける絆や大義も「言葉」によって形成される(この言葉による大義は、DNAの論理とも整合的でなければならない)。

    その大義は、集団の構成員に、何らかの生きる理由・死ぬ理由を提供する。大義のあり方は、集団ごとに独特(idiosyncratic)であり、相互に共役不可能である(この言葉が提供する生死の理由は、DNAの論理とも整合的である)。

    淘汰圧により、より強い大義を持つ集団は、弱い大義を持つ集団よりも生き残る蓋然性が高い可能性がある(社会ダーウィニズム?)。

    超DNA集団の性質、その集団が守る価値には、言葉固有の性質が刻印されており、これは言葉の桎梏、言葉のくびきといえるものである。

    言葉を介して形成される社会には、発話の自由を尊重するものと、抑圧するものがある(自由民主主義体制vs権威主義体制)

    言葉を介した現実認識の可謬性。

 

  人類と脳の進化

続いて、人類と脳の進化史について概観した。ここでは、ロビン・ダンバー(Robin Dunbar)、マイケル・トマセロ(Michael Tomasello)、クリストファー・ボーム(,Christopher Boehm)、ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)、アザー・ガット(Azar Gat)、スティーブン・ピンカー(Steven Pinker)といった研究者の文献に依拠しつつ、暴力・戦争と人類の進化について検討が行われた。

 

  ことばの領域に立ち入る方法

その後、言葉が社会をつくるという考え方に関する代表的な議論が紹介された。具体的には、分析哲学分野におけるウィトゲンシュタインの言語ゲーム、オースティンの言語行為論、グライスの協調原理と「含み」や認知言語学(cognitive linguistics)の知見、心の理論(theory of mind)などが議論の俎上に乗せられた。

 

  暫定的仮説

以上の検討を踏まえた上で、岡本氏による暫定的な仮説が提示された(※岡本氏の報告資料より直接引用)。

      ヒトの集団はことばを共有することによって巨大化し、文化・文明を建設した。

      言葉によって構築された社会の論理は、ヒトに「戦う理由」を与える。すなわち、自由民主主義、大宗教、歴史的に一貫した社会統合原理(大統一など)は、社会構成員に、その原理を守るために戦って死ぬ理由を与えると同時に、戦う理由は常にDNAの論理によって裏打ちされており、戦死者・殉職者の家族は厚遇され、言葉によって創られた戦う理由は、(岡本氏の観察によれば)社会においてより「高貴な」動機であるとみなされる傾向がある。

      言葉によって構築される社会制度は、言葉のあり方を規定する。社会制度は言葉によって構築されるが、同時に語り方の規範、禁忌、言論弾圧などを通じて、言論のあり方を規定している。そして、自由な公共圏(言論空間)を擁護する社会では、多様な情報、見解、アイディアが競争するため、不自由な社会よりも高い環境適応力、良い生活状況を提供する蓋然性が高いのではないか。

 

  国際政治学との関連

      ハラリとモーゲンソーの見解:先に挙げたハラリは、人間性を①DNAレベルの人間性、②言語=虚構レベルの人間性、③科学的施行者としての人間性に分類したが、岡本氏によれば、この人間性の三態については1946年に国際政治学者のハンス・モーゲンソー(Hans J. Morgenthau)も指摘しているという。モーゲンソーは、合理主義は人間の本性が三つの側面、①生物的側面(岡本注: DNA的側面)、②理性的側面(岡本注: 科学的側面)、③精神的側面(岡本注: 言葉の論理の側面)を持つことを見ようとしないと述べている。この両者の人間観一致は非常に興味深いものであるというのが岡本氏による指摘である。

      ウェントの「量子脳理論(Quantum approach to mind)」:また、脳と意識に関連する社会科学的議論には、国際政治学者のアレクサンダー・ウェント(Alexander Wendt)による『Quantum Mind and Social Science』があるが、岡本氏によればウェントの議論は、意識への固執からことばの領域の重要性を異誤ったために失敗に陥ったのではないかとのことであった。

 

  結語――ことばの領域を区画する

      ことばは全てを語るが、ことばは全てではない。人間は言葉を通じて大規模な社会を構築し、事実認識を共有し、宗教や文化を形成し、科学の発展を成し遂げた。このように言葉は全てのことを語る。ヒトは言葉を使って「神のように」語ることさえできるが、それでも言葉は全てではない。

      人間社会を考えるとき、社会を構成している言葉の性質に対する理解は不可欠である。しかし、「言語論的転回」言葉の通俗的理解が示すように、言葉の分析によって全ての哲学的・社会科学的問題が解決するわけではない。言葉が社会の基礎を構成していることは、人間社会の行動(behavior)に複数の異なる原理が存在していることを示す。

      より適切なアプローチは、政治事象を説明する際に、他のロジックとは異なる、「言葉の論理」を明確に示し、「言葉の領域」を他の領域と区別することだろう。そのためには、分析哲学や認知言語学を遠洋することが有用かもしれない。

 

 

3.     質疑応答(“○番号”に続く文が参加者からの質問、“→”以下が岡本氏の回答)

      「言葉の論理」というものを安全保障や戦争研究に導入することによって、どのような新しい発見があるのか? 科学的説明では、可能な限り少ない変数によって可能な限り多くの事象を説明できることが好ましいということを前提にした場合、「言葉の論理」という概念を導入して説明を複雑にすることにどのような意義があるのか?

→理論の評価基準として簡潔性は重要であるが、それ以外の基準として説明力、因果関係をどのくらい深く掘り下げて考えることができるのかなども存在する。このような前提に立つと、新たな説明変数の導入には使用新奇性(use novelty)という観点から意義があるといえるかもしれない。

 

      「ヒトは言葉を用いた統制によってDNAの論理に反する戦争が可能になった」という命題を、どのようにして反証可能な命題にするのか?

→生物学的な要因を導入して説明を行う場合、その目的は、ある行為のタイミングを説明することではなく、行為のパターンを説明することにある。その場合には、合理的経済人としての行為者の合理性を仮定して議論を始めるのではなく、生物学的なミクロ的基盤に立って精緻な議論を始めることが望ましいのではないか。このように説明の目的が異なれば、理論的予測とその反証の仕方にも違いが出てくるのではないか。

 

 

4.     主要関連文献

  Buzan, Barry, Ole Waever and Jaap de Wilde, 1997, Security: A New Framework for Analysis, Lynne Rienner.

  ガット, アザー(石津朋之ほか監訳)『文明と戦争――人類二百万年の興亡』(上・下)中公文庫, 2022年.

  ハラリ, ユヴァル・ノア(柴田裕之訳)『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』(上・下)河出書房新社, 2016年.

  ピンカー, スティーブン(幾島幸子・塩原通緒訳)『暴力の人類史』(上・下)青土社, 2015年.

  ボーム, クリストファー(斉藤隆央訳)『モラルの起源――道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』白揚社, 2014年.

  モーゲンソー, ハンス(星野昭吉・髙木有訳)『科学的人間と権力政治』作品社, 2018年.

 

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コンシリエンス学会 総務委員